『史記』項羽本紀を読んでみよう:その7

その6(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180821/1534777299)の続き。





居數月、引兵攻亢父、與齊田榮・司馬龍且軍救東阿、大破秦軍於東阿。田榮即引兵歸、逐其王假、假亡走楚。假相田角亡走趙。角弟田輭故齊將、居趙不敢歸。田榮立田儋子市為齊王。
項梁已破東阿下軍、遂追秦軍。數使使趣齊兵、欲與倶西。田榮曰「楚殺田假、趙殺田角・田輭、乃發兵。」項梁曰「田假為與國之王、窮來從我、不忍殺之。」趙亦不殺田角・田輭以市於齊。齊遂不肯發兵助楚。
項梁使沛公及項羽別攻城陽、屠之。
西破秦軍濮陽東、秦兵收入濮陽。沛公・項羽乃攻定陶。定陶未下、去、西略地至雝丘、大破秦軍、斬李由。還攻外黄、外黄未下。
(『史記』巻七、項羽本紀)


項梁、斉との諍い。



秦將章邯圍魏王咎於臨濟急。魏王請救於齊、齊王田儋將兵救魏。章邯夜銜枚撃、大破齊・魏軍、殺田儋於臨濟下。儋弟田榮收儋餘兵東走東阿。
齊人聞王田儋死、迺立故齊王建之弟田假為齊王、田角為相、田輭為將、以距諸侯。
田榮之走東阿、章邯追圍之。項梁聞田榮之急、迺引兵撃破章邯軍東阿下。章邯走而西、項梁因追之。而田榮怒齊之立假、迺引兵歸、撃逐齊王假。假亡走楚。齊相角亡走趙。角弟田輭前求救趙、因留不敢歸。田榮乃立田儋子市為齊王。榮相之、田膻為將、平齊地。
(『史記』巻九十四、田儋列伝)

斉の田栄は最初に王になった田儋の弟。田儋が章邯に殺された後も戦っていたが、斉本国の方では新たに田仮という者(始皇帝に滅ぼされる前の王の近親)を王に立てていた。



そのため田栄は田仮一派を許さなかった訳だが、田仮は項梁らの元に逃げ込んだため、項梁は田仮を支持し田栄に与しなかった。



こうして楚と斉(田栄)の関係は悪化したのである。




そして項羽は沛公劉邦と共に転戦。李由というのはあの丞相李斯の子で、要地三川郡の長官である。呉広に包囲されたが守り切った功績があったが、ここで退場。



項羽のお陰で破ったのか、それとも劉邦のお陰なのか、あるいは二人が揃ったから出来たのか。