『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その11

その10(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181106/1541430434)の続き。





六月、楚心立、號曰懷王。陳嬰為上柱國。(項)梁為大將軍、號武信君。封沛公為武安侯、為碭郡長。張良亦説項梁立韓公子成為韓王。良為司徒、略韓地。
章邯遣兵攻魏。魏將周市請救于齊・楚。市以二國師不至、章邯撃殺市、遂圍臨濟、魏王咎偽使其人納降而自殺。章邯進伐齊、殺田儋。儋從弟榮收餘兵保東阿。齊王建之弟田假自立為齊王、田角為相、田簡為將軍。章邯圍東阿。
沛公・項梁救之、大破章邯。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

項梁ら、新たな楚王(懐王)を立てる。



ここで懐王の事を「楚心」と呼んでいるのが目を引く。『史記』『漢書』などでは見なかった呼び方だったと思う。



劉邦は碭郡を任された。当時の楚領の少なくない部分を統治する事になったはずであり、中々の要職だったのではなかろうか。




一方、秦の章邯は進撃して魏王、斉王を殺すが、斉は王の従弟田栄と以前の斉王の弟が立って抵抗する。



ただ、斉全体ではまとまっていない事がポイントである。滅びる前の王の近親と遠縁との間の微妙な綱引き。