『史記』項羽本紀を読んでみよう:その29

その28(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180917/1537110139)の続き。





是時呂后兄周呂侯為漢將兵居下邑、漢王輭往從之、稍稍收其士卒。
至滎陽、諸敗軍皆會、蕭何亦發關中老弱未傅悉詣滎陽、復大振。
楚起於彭城、常乗勝逐北、與漢戰滎陽南京・索輭、漢敗楚、楚以故不能過滎陽而西。
項王之救彭城、追漢王至滎陽、田膻亦得收齊、立田榮子廣為齊王。
漢王之敗彭城、諸侯皆復與楚而背漢。
(『史記』巻七、項羽本紀)


劉邦、正妻呂氏の兄呂沢と合流し、その兵を得てやっと一息。そして滎陽へ入り、敗残兵を回収すると共に、蕭何からも増援を送られた。



関中の徴兵されていない年少者・老年者を緊急徴発して送ったというから、劉邦・蕭何もギリギリである。



関中のそれ以外の年齢層は、秦代の戦争、反乱そして最近あった20万人のアレのために払底していたのかもしれない。




そのおかげで、とりあえず一気に関中まで楚が殺到するような事態は避けられ、劉邦項羽は滎陽で対峙した。



その間、斉では田横が斉をまた統一し、田栄の子の田広を新たに斉王とした。このあたりは項羽も苦しいところで、片方に力を傾けるともう片方は負けてしまう。