『史記』項羽本紀を読んでみよう:その25

その24(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180913/1536764519)の続き。





田榮聞項羽徙齊王市膠東、而立齊將田都為齊王乃大怒、不肯遣齊王之膠東、因以齊反、迎撃田都。田都走楚。齊王市畏項王乃亡之膠東就國。田榮怒、追撃殺之即墨。榮因自立為齊王、而西撃殺濟北王田安、并王三齊。
榮與彭越將軍印、令反梁地。
陳餘陰使張同・夏説説齊王田榮曰「項羽為天下宰、不平。今盡王故王於醜地、而王其羣臣諸將善地、逐其故主趙王、乃北居代、餘以為不可。聞大王起兵、且不聽不義、願大王資餘兵、請以撃常山、以復趙王、請以國為扞蔽。」齊王許之、因遣兵之趙。陳餘悉發三縣兵、與齊并力撃常山、大破之。張耳走歸漢。陳餘迎故趙王歇於代、反之趙。趙王因立陳餘為代王。
(『史記』巻七、項羽本紀)


田栄、斉を統一。



項羽によって国替えされた田市は、斉で最初に挙兵した田儋の子。




そのため田栄は項羽の措置に怒って新たな斉王田都を追い払ったが、田市の方が項羽にビビッてしまうと、田栄は田市をも殺し、自分が斉王になって済北王田安も殺し、ついに斉を統一した。




更に田栄は趙における項羽の措置に不満を持つ(王になれなかった)陳余と共同して王になった張耳を追い払った。





斉も趙も項羽に反抗的な勢力が強まった。




項羽体制は崩壊早すぎである。