『漢書』成帝紀を読んでみよう:その2

その1(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180325/1521904890)の続き。




竟寧元年五月、元帝崩。
六月己未、太子即皇帝位、謁高廟。
尊皇太后太皇太后、皇后曰皇太后
以元舅侍中衛尉陽平侯王鳳為大司馬大將軍、領尚書事。
乙未、有司言「乗輿車・牛馬・禽獸皆非禮、不宜以葬。」奏可。
七月、大赦天下。
(『漢書』巻十、成帝紀

成帝が即位し、宣帝の正妻だった王氏が皇太后から太皇太后になり、元帝の正妻で成帝の母の王氏が皇太后となった。




そして、成帝の母の兄である王鳳が「大司馬・大将軍・領尚書事」となった。



これはあの霍光が昭帝即位時に就任したのと同じ官職であり、摂政と言うべき地位と思われる。



これについては、成帝が政治を自ら決裁する事に対して、元帝や王氏らは幼い昭帝と同じくらい不安だった、という事かもしれない。





「乗輿車・牛馬・禽獸皆非禮、不宜以葬」という内容は唐突に思えるが、「乗輿車」というと皇帝の乗る車の事を言う事が多いので、これはたぶん「元帝の陵墓に元帝の使った車や牛馬や家畜を合葬するのは礼に合わないので辞めましょう」という事だ。



「礼制として正しくない」という理由を持ち出さないと、皇帝の葬儀や祭祀を変更する事は出来ないのであろう。