14歳の祖母

皇后立十歳而昭帝崩、后年十四五云。昌邑王賀徴即位、尊皇后為皇太后。(霍)光與太后共廢王賀、立孝宣帝。宣帝即位、為太皇太后。凡立四十七年、年五十二、建昭二年崩、合葬平陵。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝昭上官皇后)

漢の昭帝の皇后である上官氏は4歳か5歳にして「人妻」すなわち皇后となり、14、5歳にして「母」(にして「未亡人」)すなわち皇太后となった。



そしてその年のうちに更に下の世代が皇帝になった(宣帝)ため「祖母」すなわち太皇太后となった。



そして晩年は更に次の代の皇帝になったため、40代あたりにして「曾祖母」にまでなった事になる。




なんというか、全体的に肩書と実年齢の差が激しすぎる人生である。特に14歳で形式上は祖母という形になったというのが特におかしい。


ちなみにこの時「孫」という事になっている宣帝の方が年上。