『漢書』文帝紀を読んでみよう:その2

その1(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170929/1506610931)の続き。




(宋)昌至渭橋、丞相已下皆迎。昌還報、代王乃進至渭橋。羣臣拜謁稱臣、代王下拜。太尉勃進曰「願請間。」宋昌曰「所言公、公言之。所言私、王者無私。」太尉勃乃跪上天子璽。代王謝曰「至邸而議之。」
閏月己酉、入代邸。羣臣從至、上議曰「丞相臣平・太尉臣勃・大將軍臣武・御史大夫臣蒼・宗正臣郢・朱虚侯臣章・東牟侯臣興居・典客臣揭再拜言大王足下。子弘等皆非孝惠皇帝子、不當奉宗廟。臣謹請陰安侯・頃王后・琅邪王・列侯・吏二千石議、大王高皇帝子、宜為嗣。願大王即天子位。」代王曰「奉高帝宗廟、重事也。寡人不佞、不足以稱。願請楚王計宜者、寡人弗敢當。」羣臣皆伏、固請。代王西郷讓者三、南郷讓者再。丞相平等皆曰「臣伏計之、大王奉高祖宗廟最宜稱、雖天下諸侯萬民皆以為宜。臣等為宗廟社稷計、不敢忽。願大王幸聽臣等。臣謹奉天子璽符再拜上。」代王曰「宗室將相王列侯以為莫宜寡人、寡人不敢辭。」遂即天子位。
羣臣以次侍。使太僕嬰・東牟侯興居先清宮、奉天子法駕迎代邸。
皇帝即日夕入未央宮。夜拜宋昌為衛將軍、領南北軍、張武為郎中令、行殿中。
還坐前殿、下詔曰「制詔丞相・太尉・御史大夫。間者諸呂用事擅權、謀為大逆、欲危劉氏宗廟、頼將相列侯宗室大臣誅之、皆伏其辜。朕初即位、其赦天下、賜民爵一級、女子百戸牛酒、酺五日。」
(『漢書』巻四、文帝紀


代王、皇帝に即位するの巻。




人払いした密談を求める周勃に対し、「公的なことを話すのなら公然とお話ください。秘密に話すことだというなら、王者に秘密などございません」というのはなかなかイカシた返しだが、まあ周勃らに密かに何か条件付けられたり要求されたりしないように機先を制するための方便だったのだろう。




また、即位したその夜に衛将軍と郎中令に自分の側近を任命し、中央の主力の軍隊と宮殿の衛兵を完全掌握するあたり、文帝の行動は二十代後半の青年王のそれには思えない貫録がある。これによって文帝は周勃・陳平らの傀儡の立場から脱したようなものだろう。正直恐るべき権力の鬼である。



(宋)昌至渭橋、丞相以下皆迎。宋昌還報。代王馳至渭橋、羣臣拜謁稱臣。代王下車拜。太尉勃進曰「願請輭言。」宋昌曰「所言公、公言之。所言私、王者不受私。」太尉乃跪上天子璽符。代王謝曰「至代邸而議之。」
遂馳入代邸。羣臣從至。丞相陳平・太尉周勃・大將軍陳武・御史大夫張蒼・宗正劉郢・朱虚侯劉章・東牟侯劉興居・典客劉揭皆再拜言曰「子弘等皆非孝惠帝子、不當奉宗廟。臣謹請陰安侯・列侯頃王后與琅邪王・宗室・大臣・列侯・吏二千石議曰『大王高帝長子、宜為高帝嗣。』願大王即天子位。」代王曰「奉高帝宗廟、重事也。寡人不佞、不足以稱宗廟。願請楚王計宜者、寡人不敢當。」羣臣皆伏固請。代王西郷讓者三、南郷讓者再。丞相平等皆曰「臣伏計之、大王奉高帝宗廟最宜稱、雖天下諸侯萬民以為宜。臣等為宗廟社稷計、不敢忽。願大王幸聽臣等。臣謹奉天子璽符再拜上。」代王曰「宗室將相王列侯以為莫宜寡人、寡人不敢辭。」遂即天子位。
羣臣以禮次侍。乃使太僕嬰與東牟侯興居清宮、奉天子法駕、迎于代邸。
皇帝即日夕入未央宮。乃夜拜宋昌為衛將軍、鎮撫南北軍。以張武為郎中令、行殿中。
還坐前殿。於是夜下詔書曰「輭者諸呂用事擅權、謀為大逆、欲以危劉氏宗廟、頼將相列侯宗室大臣誅之、皆伏其辜。朕初即位、其赦天下、賜民爵一級、女子百戸牛酒、酺五日。」
(『史記』巻十、孝文本紀)

史記』孝文本紀の分はまあだいたい同じである。コピペのように違いが見られない(完全一致ではないが)。