劉邦の兄嫁

羣臣從至、上議曰「丞相臣平・太尉臣勃・大將軍臣武・御史大夫臣蒼・宗正臣郢・朱虚侯臣章・東牟侯臣興居・典客臣揭再拜言大王足下。子弘等皆非孝惠皇帝子、不當奉宗廟。臣謹請陰安侯・頃王后・琅邪王・列侯・吏二千石議、大王高皇帝子、宜為嗣。願大王即天子位。」
【注】
蘇林曰「高帝兄伯妻、羹頡侯母、丘嫂也。
(『漢書』巻四、文帝紀


昨日の記事のシチュー事件首謀者であるところの劉信の母(劉邦の兄嫁)であるが、文帝が即位する際に存命であったという説がある。



上記の「陰安侯」というのが劉信の母だというのである。





諸説あるため確定できないが、もしそうであったとすると、劉信は列侯の地位を失っていたが母の方は列侯の地位にあったことになる。



興味深い話だ。