臨江王と江陵王

故臨江王驩為項羽叛漢、令盧綰・劉賈圍之、不下。數月而降、殺之雒陽。
(『史記』巻八、高祖本紀、高祖五年)

昨日の記事で靳歙に捕えられた「江陵王」は共尉とされており、共尉とは項羽が王に立てた「臨江王」共敖の子である(上記では「驩」となっているが、共尉の別名と考えられている)。






良く考えたら、王号が違っているじゃないか。





どちらも同じ共尉であるとするなら、項羽が敗死したことで共尉の臨江王も剥奪されたが、共尉は自ら江陵王を名乗って独立し高祖に反旗を翻した、というところだろうか。





そもそも、靳歙伝の「江陵王」と「臨江王共尉」は同一人物では無いと言う可能性も否定しきれない気がするし、なんらかの誤伝と言う可能性ももちろんあるが。