よげんの書

孝經中黄讖曰『日載東、絶火光。不膻一、聖聰明。四百之外、易姓而王。天下歸功、致太平、居八甲、共禮樂、正萬民、嘉樂家和雜。』此魏王之姓諱、著見圖讖。易運期讖曰『言居東、西有午、兩日並光日居下。其為主、反為輔。五八四十、黄氣受、真人出。』言午、許字。兩日、昌字。漢當以許亡、魏當以許昌
(『三国志』文帝紀注引『献帝伝』)


曹丕禅譲を受ける時の太史丞許芝の言。

この中で、いくつか緯書の類を引用して曹丕が天子になるべき運命だと主張しているのだが、なかなか面白いのがまだある。

「日載東」とは、「日」という字の上に「東」という字を載せる、つまり「者」のこと。これは「曹」と同じである。
「不膻一」とは「不」と「一」の組み合わせ、つまり「丕」である。

「緯書には魏王様の姓名が既に予言されていたんだよ!」「な、なんだってー」なのである。


また「言居東、西有午」は「言」が東(皇帝を中心にするなら南向きで考えるため左)、「午」が西(右)にある字、つまり「許」。
「兩日並光日居下」とは「日」が二つ上下に並ぶ字、つまり「昌」。
「其為主、反為輔」は「主たるべきでありながら輔佐の地位に就く」ということだろう。要するに曹操曹丕のことだというのである。


これらはいかにも怪しげな預言、怪文書の類という感じだが、当時の人間はこれらも聖人の言葉を記した緯書として一定の価値を認めていたのだ。
このあたりの構図は王莽が漢から禅譲を受けた時とあまり変わりがないようにも見える。