おあとがよろしいようで

馬宮字游卿、東海戚人也。
(中略)
本姓馬矢、宮仕學、稱馬氏云。
(『漢書』馬宮伝)

前漢末の馬宮という人物は、元は「馬矢」という姓だったという。
しかし彼が学問をするようになると、その姓を改めて馬氏と称するようになった。


それは何故か。

太子嘗嘲(諸葛)恪「諸葛元遜可食馬矢」恪曰「願太子食鷄卵」(孫)權曰「人令卿食馬矢、卿使人食鷄卵何也?」恪曰「所出同耳」權大笑。
(『三国志』諸葛恪伝注引『諸葛恪別伝』)

太子があるときロバの息子諸葛恪を嘲笑った。
「諸葛(恪)元遜は馬のふんでも食ってろ」
そうしたら諸葛恪はこう言い返した。
「太子は鶏の卵をお食べください」
孫権はこう尋ねる。
「お前は馬のふんでも食ってろと言われたのに、なぜ鶏の卵を食えと答えたのだ?」
諸葛恪は答えた。
「そのこころは、どちらも同じ場所から出てきます」


というわけで、「馬矢」とは「馬のふん」のこと。
馬矢宮さんは、勉強していて自分の姓が「馬のふん」だと気づいたので改姓したということである。