霍徴史の乱

二月、河東霍徵史等謀反、誅。
(『漢書』宣帝紀、神爵元年)

河東というのは霍光の父の出身地であるから、つまり霍光の地元。

この霍徴史の謀反は、おそらくは霍光の親戚で先に霍光の妻や息子たちによる謀反で一族が誅殺された際には連座せずに済んだ者なのだろう。
といってもその後反乱者の一族ということで周囲の目も厳しくなっていただろうから、結局は追い詰められて暴発したというところだろうか。