公主の人生

皇女義王、建武十五年封舞陽長公主、適陵郷侯太僕梁松。松坐誹謗誅。
皇女中禮、十五年封涅陽公主、適顯親侯大鴻臚竇固、肅宗尊為長公主。
皇女紅夫、十五年封館陶公主、適駙馬都尉韓光。光坐與淮陽王延謀反誅。
皇女禮劉、十七年封淯陽公主、適陽安侯長樂少府郭璜。璜坐與竇憲謀反誅。
皇女綬、二十一年封酈邑公主、適新陽侯世子陰豐。豐害主、誅死。
世祖五女。
(『後漢書』紀第十下、皇后紀下)

後漢の世祖(光武)の娘(公主)として記録に残るのは5人。



このうち3人は夫が何らかの罪で誅殺され、1人は夫が公主自身を殺害して誅殺された。



本人も夫もそういう目に遭わずに済んだのは皇女中礼だけか。



太平の世の公主というのも中々に波乱の人生を歩むものなのかもしれない。