『後漢書』孝霊帝紀を読んでみよう:その14

その13(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/04/03/000100)の続き。





秋七月壬子、青虹見御坐玉堂後殿庭中。
八月、有星孛于天巿。
九月、太尉張顥罷、太常陳球為太尉。司空來豔薨。
冬十月、屯騎校尉袁逢為司空。
皇后宋氏廢、后父執金吾酆下獄死。
丙子晦、日有食之。
十一月、太尉陳球免。
十二月丁巳、光祿大夫橋玄為太尉。
是歳、鮮卑寇酒泉。
京師馬生人。
初開西邸賣官、自關内侯・虎賁・羽林、入錢各有差。私令左右賣公卿、公千萬、卿五百萬。
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀)

光和元年(後半)。



后無寵而居正位、後宮幸姬衆、共譖毀。
初、中常侍王甫枉誅勃海王悝及妃宋氏、妃即后之姑也。甫恐后怨之、及與太中大夫程阿共構言皇后挾左道祝詛、帝信之。
光和元年、遂策收璽綬。后自致暴室、以憂死。在位八年。父及兄弟並被誅。
諸常侍・小黃門在省闥者、皆憐宋氏無辜、共合錢物、收葬廢后及酆父子、歸宋氏舊塋臯門亭。
(『後漢書』紀第十下、皇后紀下、霊帝宋皇后)

宋皇后、廃位。霊帝の他の妻妾たちの讒言と、宋皇后の叔母を死なせた宦官王甫が自分の身を案じて皇后を潰そうと画策した事が原因という。


その後の宦官の反応を見ると、宦官の中にも宋皇后支持者がいたようだ。


魏書曰、太祖從妹夫㶏彊侯宋奇被誅、從坐免官。
(『三国志』巻一、武帝紀注引『魏書』)


なお、おそらくはあの曹操も宋皇后とその一族の廃位・誅殺に連座する形で免官されている。




そして、かの有名な霊帝の売官が始まる。

及竇太后崩、始與朝政、使帝賣官求貨、自納金錢、盈満堂室。
(『後漢書』紀第十下、皇后紀下、孝仁董皇后)


売官は霊帝の母である董氏が霊帝にやらせたという話が残っている。

靈帝時、開鴻都門榜賣官爵、公卿州郡下至黃綬各有差。其富者則先入錢、貧者到官而後倍輸、或因常侍・阿保別自通達。
(『後漢書』列伝第四十二、崔寔伝)


また、その売官(と売爵)は霊帝が立てた「鴻都門学」と関わる中で行われたようにも思われる。もしかすると、前回あった「鴻都門学出身者を蔑視する風潮」の一因はこれかもしれない。



また、爵位と虎賁・羽林の官は公式に売られたように思われるが、公・卿などの官職はあくまでも裏で取引された、という風に分かれていた事にも注意が必要ではないだろうか。