馬小屋の一夜

初、趙平客石夏善為天官、語平曰「熒惑守御星、御星、太僕奉車都尉也、不黜則死。」平内憂(霍)山等。(霍)雲舅李竟所善張赦見雲家卒卒、謂竟曰「今丞相與平恩侯用事、可令太夫人言太后、先誅此両人。移徙陛下、在太后耳。」長安男子張章告之、事下廷尉。
(『漢書』巻六十八、霍光伝)

博成
張章、父故潁川人、為長安亭長。失官、之北闕上書、寄宿霍氏第舍、臥馬櫪間、夜聞養馬奴相與語、言諸霍氏子孫欲謀反状、因上書告反、為侯、封三千戸。
(『史記』巻二十、建元以来侯者年表)

霍光の子らによる謀反は張章なる人物の密告から発覚したとされるが、その詳細が『史記』建元以来侯者年表に書かれていた。



張章は失職した亭長だったようだが、おそらくは求職活動中に霍氏の屋敷の馬小屋に泊めてもらい、呪文の使用回数を回復していたが、そこで馬小屋で働く霍氏の召使たちが夜更けに謀反の事をしゃべっていたのを聞きつけて密告したのだとか。



亭長つまり一応は官にあったものであったから、話の内容の重大さが理解でき、お上へ上書して密告するといった事も簡単に出来た、と解釈できるのかもしれない。



それにしても馬小屋は何かと歴史を転換する場になりやすいのだろうか?