ひとこと(蜀の遺臣)

先日の話の後で思ったんだが、鄧艾は蜀漢の大臣・将たちにも出身者が少なくない義陽の出身であり、蜀漢の人々としては案外シンパシーを感じやすい関係であったのかもしれない。



なので、鄧艾が明らかに独断専行の色を強め、劉禅を祭り上げて呉の降伏を誘うとか、このまま呉攻めに移行しようとかいった言動を見ていって、義陽人を中心とする蜀の遺臣たちは、「おや、これは鄧艾が司馬氏から離反してまた蜀が独立勢力になるかもしれないな」「鄧艾が司馬氏と争うことになったら蜀漢の皇帝が再度擁立され、我々大臣諸将も再登板して同郷の誼で重用されるんじゃないか」みたいな期待感を強めていたんじゃないだろうか。



畜生による反乱も、こういった蜀遺臣たちの期待感をバックに、鄧艾がいた場所、期待された役にそのまま座ることで生まれた・・・なんてことかもしれない。