曹皇后怒りの理由

王莽が漢を簒奪した時、王莽の権力の源泉であった王莽の伯母の太皇太后王氏(元后)には「文母太后」なる称号が贈られた。



また、平帝の皇后となっていた王莽の娘の王皇后には、「黄皇室主」なる称号が贈られた。




これらの事例から考えると、曹操の娘、曹丕の姉妹である献帝の曹皇后にも何か特別な称号が与えられるのではないか、と考えても何ら不思議はないだろう。




曹皇后は、自分の皇后の璽綬を引き渡す、すなわち皇后の地位を失うという時に、魏王朝から何か特別な称号、地位を代わりに授けられるのではないか、と考えていたのではないか。




だが璽綬回収の使者からはそういった話が出ず、どうやら新皇帝曹丕にそのつもりがないと分かったために、曹皇后はブチ切れ金剛となったのではないか。



なぜなら、退位後に彼女が属する山陽公国は格式はある程度保たれることになっていたとはいえ、曲りなりにも皇后であった身が公の夫人でしかなくなり、漢王朝時代には兄弟間で最も高い地位にいたのに一段低いところに置かれてしまうことになるのだから。




彼女にしてみれば、新たな特別な地位を与えられない限り、漢魏の簒奪劇は自身にとって得が無く、損ばかりなのである。




こういった、ある種功利的な観点で曹皇后が魏を非難した、という可能性もありうるのではなかろうか。むろん、あくまでも可能性であって確実なものとは言わないが。