昨日の続き

昨日の話からすると、曹彰は臨終の曹操から呼び出されたことになっており、注引『魏略』ではその理由が「曹植を後継者にするため」だと曹彰自ら言ったとされている。



実際、曹操が死に際してわざわざ太子曹丕以外の王子を呼び出すという時点で、そういった勘ぐりをしたくなる者は少なくなかっただろう。


太祖崩洛陽、(賈)逵典喪事。時鄢陵侯(曹)彰行越騎將軍、從長安來赴、問逵先王璽綬所在。逵正色曰「太子在鄴、國有儲副。先王璽綬、非君侯所宜問也。」遂奉梓宮還鄴。
(『三国志』巻十五、賈逵伝)


曹操の命であったかはともかく、曹彰曹操の後継問題について何らかの異心があったと考えざるを得ないことは上記の話から明らかである。


そうでなければ、「臨終の父王のもとに後からやってきた太子以外の王子」が「わざわざ王の璽綬をありかを知ろうとする」という、どう好意的に解釈しても何らかの陰謀、邪心があったと考えるしかない言動の危険性を全く理解できないとんでもない無邪気(婉曲)な者ということになってしまう。




一方、璽綬のありかを問い質すという行為の危険性を十分わかっていたのだとすれば、それはまさに璽綬を占有しようという陰謀の端緒であると思うのが普通であり、その目的も曹植か自分を王にしようというものとしか思えないだろう。



これが曹操の命あるいは示唆によるものでないのだとしたら、曹彰はそんな大それた行為を独断で行い、しかも父の遺志であるかのように言い募っていたわけだから、相当な激烈バカか相当な陰謀家、あるいはその両方であろう。




だが軍事面では間違いなく優れた才覚を見せていた曹彰がそんな人物ではないと思うのであれば、曹操が実際に曹彰に命じた、あるいはそうとしか読み取れないような示唆を与えていたことになる。



そうなると、曹彰は父に従順で忠実に命令を守ろうとしたことになり、一方で曹操は魏国というか曹氏の勢力を土壇場で自ら曹丕曹植に二分するという袁紹もビックリの選択を行っていたことになる。





陰謀家なのに頭が回らない曹彰と、ちょっと致命的なことになりそうな思い付きをうっかり実行してしまう曹操と、どちらがありそうかというと、個人的には後者だろうな、と思う。




つまり、曹操は死の間際になって曹植を後継にしたくなっていて、実際にそのつもりで曹彰を呼びよせたのではないだろうか。