昨日の話の後で思ったが、「儒林伝」や「酷吏伝」といった伝は立てない陳寿『三国志』も、「儒林伝」ではなく「儒宗伝」、「酷吏伝」ではなく「苛吏伝」と敢えてズラしてくる『魏略』も、前後のいわゆる正史などの形式からすると、どっちもなかなかに癖が強いのではなかろうか。
この時代はまだまだ史書の形式が固まりきってなかったということかもしれないが。
昨日の話の後で思ったが、「儒林伝」や「酷吏伝」といった伝は立てない陳寿『三国志』も、「儒林伝」ではなく「儒宗伝」、「酷吏伝」ではなく「苛吏伝」と敢えてズラしてくる『魏略』も、前後のいわゆる正史などの形式からすると、どっちもなかなかに癖が強いのではなかろうか。
この時代はまだまだ史書の形式が固まりきってなかったということかもしれないが。