皇帝の料理人と餅屋

(厳)幹從破亂之後、更折節學問、特善春秋公羊。司隸鍾繇不好公羊而好左氏、謂左氏為太官、而謂公羊為賣餅家。故數與幹共辯析長短。繇為人機捷、善持論、而幹訥口、臨時屈無以應。繇謂幹曰「公羊高竟為左丘明服矣。」幹曰「直故吏為明使君服耳、公羊未肯也。」
(『三国志』巻二十三、裴潜伝注引『魏略』)

後漢末から魏にかけての人物である厳幹。



彼は春秋公羊伝に詳しかったという。




その一方、あの鍾繇は春秋左氏伝を好み、「左氏伝は皇帝の料理人、公羊伝は餅屋」など言って公羊伝と餅屋をディスっていたという。




その二人は春秋伝の優劣を議論することがしばしばあったというが、厳幹は口下手で口達者な鍾繇に言い負かされてしまう。




言い負かした鍾繇が「公羊高(公羊伝を著した人物とされる)が左丘明(左氏伝を著した人物)に負けたのだよ」とドヤ顔して宣言すると、厳幹は「これは故吏の私が司隸校尉様に負けただけで公羊氏が負けたわけではございませんぞ」と言い返したという。



つまり「私は自分の上司で推挙してもらった恩があるから言い負かさないだけなんですよ」と言いたいのだろう。

負け惜しみということだ。





ぶっちゃけどちらも少々子供っぽい。





鍾繇様は自分がナンバーワンにならないと気が済まないタイプらしいので、周囲に敵を作りながらトップでいようとする態度がいかにも彼っぽい。