『魏略』について

魏略以(常)林及吉茂・沐並・時苗四人為清介傳。
(『三国志』巻二十三、常林伝注)

魏略苛吏傳曰、(王)思與薛悌・郤嘉倶從微起、官位略等。
(『三国志』巻十五、梁習伝注)

魏略勇俠傳載孫賓碩・祝公道・楊阿若・鮑出等四人。賓碩雖漢人、而魚豢編之魏書、蓋以其人接魏、事義相類故也。
(『三国志』巻十八、閻温伝注)

(東里)袞後為于禁司馬、見魏略游説傳。
(『三国志』巻四、高貴郷公髦紀注)

魏略以(秦)朗與孔桂倶在佞倖篇。
(『三国志』巻三、明帝紀注)

魏略以(董)遇及賈洪・邯鄲淳・薛夏・隗禧・蘇林・樂詳等七人為儒宗。
(『三国志』巻巻十三、王粛伝注)

魏の『魏略』の伝の名と思われるものには以上のようなものがある。あと先日の記事の「知足伝」



「清介伝」「勇俠伝」「游説伝」「知足伝」といった伝の名は先行する『史記』『漢書』には見られない(内容的に近いものはあったかもしれんが)し、「苛吏伝」「儒宗伝」というのも『史記』『漢書』の「酷吏伝」「儒林伝」に当たるものと思われる。



いずれも、『史記』『漢書』では見られない名前になっている。思うに意図的に変えてきているのだろう。



『魏略』編者魚豢のオリジナリティの出し方だったのか、それとも「先代の人物たちとは別物である」みたいな意味合いでもあったのか。そのあたりは良く分からないけれど。