降伏後の待遇

そういえば、呉の孫晧が晋に降伏した時に与えられた「帰命侯」は領土の戸数や封建された場所の記載がないので、決められた領土を持たない侯、つまり五等爵の侯ではなく名号侯じゃないかと思う。



また、少なくとも『三国志』やその注では死後に諡号を贈られたとも書かれていない。



このあたり、五等爵の公を与えられ、思公という諡号も贈られていた劉禅とはずいぶん違う。




降伏した経緯によるのか、その時期によるのか、漢と呉の違いなのか、孫晧の所業や評判や人格が災いしたのか、いろいろ考えられるだけに興味深い。