孫策の扱い

孫権は皇帝即位後、兄孫策に対して「長沙桓王」の号を贈った。


孫堅には「武烈皇帝」という号を贈っており、王と皇帝という差があったことになる。




これについて、兄孫策にも皇帝号を贈らないことを不思議がったり孫権の誤りであると述べる人をしばしば見かけるのだが、例えば漢の高祖も世祖も兄弟に皇帝号は贈っていないので、少なくともおかしな話ではない。



特に後漢の場合も孫策のように弟が皇帝になる上で一定の役割を果たしているが、少なくとも皇帝とはしていない。



(孫)權稱尊號、追諡(孫)策曰長沙桓王、封子紹為呉侯、後改封上虞侯。
(『三国志』巻四十六、孫策伝)


それよりも問題は、孫策諡号は王としておきながら、孫策の子は王にしていないことではないだろうか。



少なくとも後漢の場合は皇帝の兄劉縯に「斉武王」という号を贈るとともに、遺児を斉王としている(それ以前から王にはしている)。




この遺児への扱いの方が、過去の事例からすると余程不可解で道理に合わないのではないか。