恥辱の生を選んだ理由

前漢の宦官、張賀は漢の宣帝最大の恩人である。




そして彼は武帝の時の大臣、「酷吏」として有名な張湯の長男であった。



初、(張)安世兄賀幸於衛太子、太子敗、賓客皆誅、安世為賀上書、得下蠶室。
後為掖庭令、而宣帝以皇曾孫收養掖庭。賀内傷太子無辜、而曾孫孤幼、所以視養拊循、恩甚密焉。及曾孫壯大、賀教書、令受詩、為取許妃、以家財聘之。
(『漢書』巻五十九、張安世伝)



張賀は元は貴公子と言ってもいい身分でありながら、司馬遷が言うところの恥辱の極みであるところの宦官になったわけである。





張賀はただ命が惜しかっただけかもしれないが、彼はもともと皇太子(宣帝の祖父)に恩があった人物なので、その孫がまだ処刑されず生きていると知り、その孫を守り育てるために敢えて恥辱の生を選んだ、と考えることだってできるかもしれない。



根拠は特にない。