黄初中、文帝欲追封太后父母、尚書陳群奏曰「陛下以聖徳應運受命、創業革制、當永為後式。案典籍之文、無婦人分土命爵之制。在禮典、婦因夫爵。秦違古法、漢氏因之、非先王之令典也。」帝曰「此議是也、其勿施行。以作著詔下藏之臺閣、永為後式。」
至太和四年春、明帝乃追諡太后祖父廣曰開陽恭侯、父遠曰敬侯、祖母周封陽都君及敬侯夫人、皆贈印綬。
(『三国志』巻四、后妃伝、武宣卞皇后)
魏の武帝の正妻(王后、皇太后)の卞氏の母は文帝の時には地位や領土を与えられなかった(与えない事を代々守るようにと文帝は命じている)が、次の烈祖様の時に祖母に陽都君、母にもおそらく同様の地位が与えられたようだ。
烈祖様の母の甄氏の父甄逸と兄甄儼の正妻はそれぞれ君の地位を与えられている。
文帝の皇后郭氏の母、および郭氏の父の正妻はそれぞれ君の地位を与えられている。
烈祖様の皇后毛氏の母は君の地位を与えられている。
斉王芳の皇后甄氏の母は君の地位を与えられている。
高貴郷公の皇后卞氏の父の正妻は君の地位を与えられている。
陳留王の皇后卞氏の正妻は君の地位を与えられている。
魏王朝において、最初はどうやら皇后・皇太后の母に特別な地位(おそらくは領土が付随する「君」)を与えない事を代々の約束としたようだが、誰かさんのお陰で完全に覆っている。
そして、何故か甄氏だけ「皇帝の母の兄弟の妻」に「君」が与えられている。
烈祖様が全く父帝のいいつけ守ってなくてかなりすがすがしい。