『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その15

その14(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181113/1542035388)の続き。





十有二月、項羽濟河、沈船破釜、燒廬舍、令人持三日糧、至則圍王離、與秦軍遇、九戰九勝、絶甬道、大破秦軍、虜王離。當此時諸侯救鉅鹿者十餘壁、莫敢進、及楚撃秦、諸侯皆從壁上望。楚戰士無不一當十、又羽呼聲動天地。諸侯軍人人莫不怖懼。於是既破秦軍、羽見諸侯上將、入轅門、膝行而前、莫敢仰視羽者。由是為諸侯上將軍、兵皆屬羽焉。於是羽威權遂振四海。
初、宋義與項羽將五萬、距秦三將。當王離與羽大戰時、精兵四十萬衆、并章邯軍故也。是時枉矢西流如火、流星蛇行、若有首尾、廣長如一匹布著天。矢星墜至地即石也、枉矢所觸、天下所共伐也。凡枉矢之行、以亂平亂、項羽伐秦之應。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

項羽、「背水の陣」で秦将王離(王翦の孫)を破る。秦側は40万人、項羽は5万人程度でありながらの大勝であり、その後、項羽が楚以外の諸侯からも上将軍と呼ばれるようになるのも理解できる。



項羽は多数の秦に勝ち趙を救った事で、楚の将から諸侯全体の兵を統率する上将軍へとランクアップした、と言う事だ。



そして、その頃にあった天文の現象はここの解釈によると「乱を以て乱を平らげる」だそうだ。つまり項羽も乱の側の存在だという事である。