『史記』項羽本紀を読んでみよう:その13

その12(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180828/1535382206)の続き。





章邯軍棘原、項羽軍漳南、相持未戰。
秦軍數卻、二世使人讓章邯。章邯恐、使長史欣請事。至咸陽、留司馬門三日、趙高不見、有不信之心。長史欣恐、還走其軍、不敢出故道、趙高果使人追之、不及。
欣至軍、報曰「趙高用事於中、下無可為者。今戰能勝、高必疾妒吾功。戰不能勝、不免於死。願將軍孰計之。」陳餘亦遺章邯書曰「白起為秦將、南征鄢郢、北阬馬服、攻城略地、不可勝計、而竟賜死。蒙恬為秦將、北逐戎人、開榆中地數千里、竟斬陽周。何者?功多、秦不能盡封、因以法誅之。今將軍為秦將三歳矣、所亡失以十萬數、而諸侯並起滋益多。彼趙高素諛日久、今事急、亦恐二世誅之、故欲以法誅將軍以塞責、使人更代將軍以脱其禍。夫將軍居外久、多内卻、有功亦誅、無功亦誅。且天之亡秦、無愚智皆知之。今將軍内不能直諫、外為亡國將、孤特獨立而欲常存、豈不哀哉!將軍何不還兵與諸侯為從、約共攻秦、分王其地、南面稱孤、此孰與身伏鈇質、妻子為僇乎?」
章邯狐疑、陰使候始成使項羽、欲約。約未成、項羽使蒲將軍日夜引兵度三戸、軍漳南、與秦戰、再破之。項羽悉引兵撃秦軍汙水上、大破之。
(『史記』巻七、項羽本紀)


秦の章邯、孤立無援。



「このままでは勝っても白起・蒙恬のように殺されるし、負けたら誅殺される。どっちにしても命は無いぞ。こちらと手を組んで秦を滅ぼして自ら諸侯になった方がいいんじゃないか?」という陳余の現状分析、まあ状況的にその通りなのだろう。




秦の趙高は既に李斯を殺している。司馬欣の件(秦へ行って敗戦の弁明をしようとしたが趙高に取り合ってもらえず、逆に殺されそうになった)もあって完全に明日は我が身状態の章邯にとって、陳余の説得は現実味を帯びていたのではないだろうか。





その後、章邯は項羽に使者を出して調印のための交渉を始めたが、その間にも項羽は秦を攻撃。





この時に「三戸」なる場所(「津」つまり渡し場だという)が出てくる。



楚では「楚雖三戸、亡秦必楚」なる予言があったという。



項羽らが意識してそこで渡河したのか、完全に偶然なのかは分からないが、予言が現実になろうとしているのであった。