『史記』項羽本紀を読んでみよう:その15

その14(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180831/1535641547)の続き。





到新安。
諸侯吏卒異時故繇使屯戍過秦中、秦中吏卒遇之多無状、及秦軍降諸侯、諸侯吏卒乗勝多奴虜使之、輕折辱秦吏卒。秦吏卒多竊言曰「章將軍等詐吾屬降諸侯、今能入關破秦、大善、即不能、諸侯虜吾屬而東、秦必盡誅吾父母妻子。」諸侯微聞其計、以告項羽項羽乃召黥布・蒲將軍計曰「秦吏卒尚衆、其心不服、至關中不聽、事必危、不如撃殺之、而獨與章邯・長史欣・都尉翳入秦。」於是楚軍夜撃阬秦卒二十餘萬人新安城南。
(『史記』巻七、項羽本紀)


秦兵しまっちゃうおじさん登場。




兵数で見たら20万以上いたらしい秦兵は、秦以外の兵よりも多かったのだろう。



それが明らかに不穏な事を話しているというなら、項羽としては確かにそのままにはしておけない。




また、項羽陣営は章邯らの降伏を受け入れる際、兵糧に不安がある事も述べていた。この秦兵20万が兵糧も圧迫していた可能性もあるかもしれない。




何にせよ、項羽は秦兵20万を不意打ちして穴埋めにして殺してしまったのだという。




後には率いる兵を持たない雍王章邯、項氏に旧恩がある司馬欣、章邯に楚への降伏を勧めた董翳、この3人だけが残ったということである。





まあ、関中入りを急ぎたいであろう項羽からすればやむを得ない措置だったのかもしれないが、関中を支配しようとしているとすれば愚策と言うほかないのも事実だろう。




ちなみに『史記』高祖本紀で劉邦はこの事を「詐阬秦子弟新安二十萬」と項羽の罪状の一つとして数え上げている。「騙し討ちだった」と言っているのが興味深い。