『史記』項羽本紀を読んでみよう:その10

その9(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180825/1535122893)の続き。





初、宋義所遇齊使者高陵君顯在楚軍、見楚王曰「宋義論武信君之軍必敗、居數日、軍果敗。兵未戰而先見敗徴、此可謂知兵矣。」王召宋義與計事而大説之、因置以為上將軍、項羽為魯公、為次將、范筯為末將、救趙。諸別將皆屬宋義、號為卿子冠軍。
(『史記』巻七、項羽本紀)

項梁の兵を吸収した懐王は宋義を大将として趙の救援に行かせる。



項羽は宋義の下に入って共に趙へ行く。




趙數請救、懷王乃以宋義為上將軍、項羽為次將、范筯為末將、北救趙。
令沛公西略地入關。
與諸將約、先入定關中者王之。
當是時、秦兵彊、常乗勝逐北、諸將莫利先入關。獨項羽怨秦破項梁軍、奮、願與沛公西入關。懷王諸老將皆曰「項羽為人僄悍猾賊。項羽嘗攻襄城、襄城無遺類、皆阬之、諸所過無不殘滅。且楚數進取、前陳王・項梁皆敗。不如更遣長者扶義而西、告諭秦父兄。秦父兄苦其主久矣、今誠得長者往、毋侵暴、宜可下。今項羽僄悍、今不可遣。獨沛公素𥶡大長者、可遣。」卒不許項羽、而遣沛公西略地、收陳王・項梁散卒。乃道碭至成陽、與杠里秦軍夾壁、破秦二軍。楚軍出兵撃王離、大破之。
(『史記』巻八、高祖本紀)

なお、この時に沛公劉邦は別途西を目指して出発したという。最終的には秦本国を攻めるのが目的。



項羽は秦攻めに加わりたかったというが、懐王さんサイドは念入りに殺戮しちゃう項羽では時間かかりすぎるでしょ、という事で項羽は趙救援組になった。


項羽と劉邦による秦攻めというのも見てみたかった気もするが、個人的には上手く行く気がしない。




秦を落としたヤツを関中の王にする、と決められたのはこの時だそうだ。




劉邦以外に目があるのかこれ、と一見思えるが、趙救援組も趙を救援して秦を追い払ったらそのまま西へ向かい、秦攻めに転じる事も想定されていたのだろう。





ともあれ、項羽劉邦も運命が変わる出陣である。