『史記』項羽本紀を読んでみよう:その35

その34(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180924/1537715193)の続き。





楚漢久相持未決、丁壯苦軍旅、老弱罷轉漕。
項王謂漢王曰「天下匈匈數歳者、徒以吾両人耳。願與漢王挑戰決雌雄、毋徒苦天下之民父子為也。」漢王笑謝曰「吾寧鬬智、不能鬬力。」項王令壯士出挑戰。漢有善騎射者樓煩、楚挑戰三合、樓煩輒射殺之。項王大怒、乃自被甲持戟挑戰。樓煩欲射之、項王瞋目叱之、樓煩目不敢視、手不敢發、遂走還入壁、不敢復出。漢王使人輭問之、乃項王也。漢王大驚。
於是項王乃即漢王相與臨廣武輭而語。漢王數之、項王怒、欲一戰。漢王不聽、項王伏弩射中漢王。漢王傷、走入成皋。
(『史記』巻七、項羽本紀)


項羽劉邦に一騎打ちによる決戦を求めるが、当然劉邦は取り合わない。




まあ、前回までの流れでは明らかに項羽の方が悪い状況に置かれているのだから、より有利な劉邦が敢えて項羽に乗る必要があるわけがない。



楚漢久相持未決、丁壯苦軍旅、老弱罷轉饟。
漢王項羽相與臨廣武之輭而語。項羽欲與漢王獨身挑戰。
漢王數項羽曰「始與項羽倶受命懷王、曰先入定關中者王之、項羽負約、王我於蜀漢、罪一。項羽矯殺卿子冠軍而自尊、罪二。項羽已救趙、當還報、而擅劫諸侯兵入關、罪三。懷王約入秦無暴掠、項羽燒秦宮室、掘始皇帝冢、私收其財物、罪四。又彊殺秦降王子嬰、罪五。詐阬秦子弟新安二十萬、王其將、罪六。項羽皆王諸將善地、而徙逐故主、令臣下爭叛逆、罪七。項羽出逐義帝彭城、自都之、奪韓王地、并王梁楚、多自予、罪八。項羽使人陰弒義帝江南、罪九。夫為人臣而弒其主、殺已降、為政不平、主約不信、天下所不容、大逆無道、罪十也。吾以義兵從諸侯誅殘賊、使刑餘罪人撃殺項羽、何苦乃與公挑戰!」
項羽大怒、伏弩射中漢王。漢王傷匈、乃捫足曰「虜中吾指!」漢王病創臥、張良彊請漢王起行勞軍、以安士卒、毋令楚乗勝於漢。
漢王出行軍、病甚、因馳入成皋。
(『史記』巻八、高祖本紀)

項羽と劉邦の対峙については、『史記』高祖本紀の方が詳しい。



項羽劉邦に一騎打ちを求めるが、劉邦項羽に対して10の罪状を挙げて糾弾する。



1「一緒に楚の懐王の「先に関中を平定した者を王にする」という命を受けたのに、その約束に背いて私を蜀・漢中の王にした」


2「宋義を殺して自分がトップに収まった」


3「趙を救った時点で楚に戻って懐王に報告すべきだったのに、勝手に諸侯の兵を強制的に連れて行って関中へ行った」


4「懐王は秦に入っても略奪暴行するなと命じていたのに、項羽は秦の宮殿を焼き、始皇帝の墓を暴き、財宝をわが物とした」


5「降伏した秦王子嬰を殺した」


6「秦人を20万人殺し、その時の将軍章邯らを秦の王とした」


7「自分の将を良い土地の王にし、元の王を追い払い、臣下を反逆に導いた」


8「義帝を彭城から追いやって自分がその王になり、韓王の土地を奪い、自ら楚と梁にまたがる巨大な王になった」


9「義帝を殺した」


10「そもそも臣下でありながら主君を殺し、降伏した者を殺し、政治は不公平であり、約束も信用できず、天下の人々は我慢できない。大逆であり非道である」



項羽の事績を列挙するだけで罪状の読み上げになるという親切設計。



これに対して矢玉で答える項羽。反論の言葉が無くていいのだろうか。それとも実際には見事な反論をしていたのだろうか。だとしたら、どう反論できるか見てみたかった。




劉邦は胸に矢が当たるという重傷を負ったが、それを隠すために「足に当たっただけ」と痛みを押して宣言。



劉邦は生涯で12ものいくさ傷、4つの矢傷を負ったという。よくそれまで生きてたなという感じであるが、そのうちの一つが今回の傷なのだろう。



その後の劉邦は明らかに弱音を吐いており、割と酷い傷だったんじゃないかと思うが、それでも戦い続けるのだからかなり化け物である。




結局、項羽は大局的には劉邦にかなり追い詰められつつあったため、どうにかして劉邦自身を殺してしまうしか項羽は勝ちの目が見つからなかったのではなかろうか。