王莽の叔父

初、紅陽侯(王)立就國南陽、與諸劉結恩、立少子丹為中山太守。世祖初起、丹降為將軍、戰死。上閔之、封丹子泓為武桓侯、至今。
(『漢書』巻九十八、元后伝)

王莽の叔父である王立は失脚し、領土である南陽郡紅陽国へ戻された。



そこでどうやら南陽郡の劉氏たちと誼を通じるようになっていたらしい。



王立の息子である王丹は光武帝の将軍として戦ったという。




(王)莽因是誅滅衛氏、窮治呂𥶡之獄、連引郡國豪桀素非議己者、内及敬武公主・梁王立・紅陽侯(王)立・平阿侯(王)仁、使者迫守、皆自殺。死者以百數、海内震焉。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)


なぜ彼が王莽の近臣でありながら光武帝らに味方したかというと、王莽は自分の長男がオカルトをでっち上げて王莽に翻意を促したという事件を追及し、その中で王立にも嫌疑をかけて自殺に追い込んだという事件が影響しているのだろう。




王立の息子王丹にしてみれば、王莽はむしろ父の仇であるので、近所付き合いもある南陽の劉氏たち、劉玄(更始帝)・劉秀(光武帝)といった面々の方にシンパシーを感じたのではなかろうか。