外戚王氏:第三世代

先日の「外戚王氏:第二世代」の続き。




言うまでもなく今度は「第三世代」。






  • 王宇

王莽の長子。
後継ぎ(世子)であったのだが王莽が平帝を擁立していた時代、平帝の外戚を排除する父に反発、怪異を以て父の心変わりを画策したことが発覚(首謀者の名を取って「呂寛の事」と表記されている)。
反乱者として捕まり、王莽によって死に追いやられる。
王莽はそれで失脚するどころか目障りな者を共謀者扱いして排除することに成功した(王立などがそれ)。



  • 王獲

王莽の中子。
王莽が前漢哀帝の時に失脚して領国新都国に居た時、奴婢を殺害する事件があった。
王莽はスキャンダル化を恐れたか、あるいは厳格さを示すためか、王莽は王獲を自殺させた。



  • 王安

王莽の中子。
王宇・王獲が死んでいたため順番では彼が後継ぎになるとことなのだろうが、どうやら能力的に相当問題があったらしく、末子王臨が後継ぎとなった。
彼は王莽より先に病死。



  • 王臨

王莽の末子。
先述の通り王莽の後継ぎとなり、王莽が皇帝になると皇太子となった。
ただしその後、王莽らは予言に合わせると称して彼を「統義陽王」に移した。
皇太子でなくなったことへの不安と、王臨がなんと王莽の寵姫と密通していたことが重なり、しまいには父王莽殺害を計画。発覚してやっぱり自殺を迫られた。



  • 王皇后

王莽の娘。
平帝の皇后に立てられた。
平帝が死ぬとその後継ぎとされた劉嬰(孺子嬰)の皇太后として扱われ、王莽即位ののちに「黄皇室主」という称号を与えられた。
父王莽は彼女を再婚させようとしたが本人にその気がなく、また王莽敗亡に際しては炎上する未央宮に飛び込んで死んだ。





王莽の子供たちの自殺率がハンパなくてかなり引く。



  • 王泓

紅陽侯王立の孫。王丹の子。
前回の記事で書いたと思うが王丹は光武帝たちと旧知の間柄であったらしく、光武帝の将となり戦死。
父の功で王泓は列侯となった。