水に助けられる男

魏氏春秋曰、帝將誅大將軍、詔有司復進位相國、加九錫。帝夜自將宂從僕射李昭・黄門從官焦伯等下陵雲臺、鎧仗授兵、欲因際會、遣使自出致討。會雨而卻。明日、遂見王經等出黄素詔於懐曰、「是可忍也、孰不可忍也!今當決行此事。」遂帝拔劍升輦、率殿中宿衛蒼頭官僮撃戰鼓、出雲龍門。賈充自外而入、帝師潰散、帝猶稱天子、手劍奮撃、衆莫敢逼。充率窅將士、騎督成倅弟濟以矛進、帝崩于師。時暴雨雷霆晦冥。
(『世説新語』方正第五、劉孝標注引『魏氏春秋』)

少し前にツイッター上でフォロワーの方から教えてもらったこと。




かの魏の皇帝高貴郷公が司馬昭追討の兵を挙げて殺された事件の発端として、高貴郷公は司馬昭を「相国に任じ九錫を賜う」という命を下し、それから司馬昭を殺そうとしたのだという。




このことは『三国志』高貴郷公紀およびその注の『魏氏春秋』やその他諸書の引用には出ていないようである。




おそらくだが、相国任命というセレモニーを行おうとすることで司馬昭を無防備な状態で誘い出し、武装兵を出して一気に司馬昭一党を一網打尽にしてしまおう、というのだろう。



司馬昭は相国任命を辞退しそうだが、たぶん辞退するとしても皇帝の前に立つことになるのだろうから、そこでチャンスが生まれることには変わりなかったのかもしれない。



また「帝自將」とあるので、司馬昭らがセレモニーに参加しようとする前夜を狙って不意打ちする手筈だったのだろうか?



また雨で取りやめたというのも、セレモニー自体が雨で延期になったために計画変更を余儀なくされたことを意味し、だからこそ成功率の低い正面突破のような手段に出た、ということなのかもしれない。




そうだとしたら、司馬昭は雨に助けられたということになりそうだ。