漢の皇帝

前漢の皇帝はほとんどが行動的。
高祖劉邦は反乱者討伐のために燕にでも楚にでも赴く。
文帝は匈奴を退けるため自分が打って出ようとして母に止められた。また彼は何度もかつての領地である代に行幸している。
武帝は皇帝になってからお忍びで出歩くのを好んだし、泰山まで出かけて封禅を執り行い、また長安よりも離宮を好んだ。
成帝も皇帝になってからお忍びを好み、趙飛燕に出会ったのもお忍びの際のことだった。
彼らには奥まったところで座っているイメージが似合わない。

そもそも漢の皇帝には定期的に河を祀るという宗教行事のため関中を出るという仕事があったし、上林苑という広大な庭園を郊外に所有していた。
ずっと宮殿内にいる時期の方が少ないくらいだったのかもしれない。