功臣の謎

索隱姚氏曰「蕭何第一、曹參二、張敖三、周勃四、樊噲五、酈商六、奚涓七、夏侯嬰八、灌嬰九、傅𥶡十、靳歙十一、王陵十二、陳武十三、王吸十四、薛歐十五、周昌十六、丁復十七、蠱逢十八。」(『史記』高祖功臣侯者年表注)
漢の高祖の功臣の序列。
下の方には見慣れない名前もあるけれど、おおむねトップテンは有名どころ(王や反乱者は除かれている)。

その中で異彩を放つのがNo.7の奚涓。夏侯嬰、灌嬰より上って何者かと思うが、『史記』『漢書』には功臣表以外に出てこない謎の人物。
しかも表によると、

(魯侯)以舍人從起沛、至咸陽為郎中、入漢、以將軍從定諸侯、侯、四千八百戶、功比舞陽侯。死事、母(疵)代侯。

となっている。
・魯侯に封じられている。魯は言わずと知れた孔子の故地であり項羽の領地で最後まで降伏しなかったという土地。この後には劉邦の娘魯元公主の領地になる。
・母が本人の代わりに列侯を継いでいる。女性が列侯を継ぐという措置は他に蕭何の妻の例があるくらいの特例である。
と、どうも只者では無いふいんきryバリバリなのだ。でも記録が残らない。早くに死んでいる。でも序列も功績も封邑の戸数もハンパない。

この謎を解く鍵?は出土資料にあった。

http://baike.baidu.com/view/1497099.htm

つまり臨沂県で発見された漢墓の主が「劉疵」で、これが奚涓の母の「疵」なんじゃね?ということだ。
それが正しければ、奚涓の母は劉氏つまり高祖劉邦と同族なのである。

謎は全て解けた!

そう、奚涓の異様な優遇っぷりは劉邦との血縁ゆえということだ。
これは前例がある。先の序列でNo.3の張敖は功績では明らかに劣るが、劉邦呂后の娘婿であることから優遇されているのだと言われている。

劉邦は案外血縁者の助力で知られている人物が少なかったのだが、その裏にはこういう人物がいた・・・のかもしれない。



今回の話はhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1219552075/
の初めの方が元ネタ。