項羽による降伏させた秦の兵士20万ブッコロは有名である。
この兵士は「各地から集められた」刑徒が多数含まれていた可能性が高い。つまり、秦の地域(関中)出身者よりも、楚を含む他地域の出身者が多かったのではないか、と考えられる。
刑徒と言っても、厳しいと言われる秦の法律に触れた者たちであるから、この世にいない方がマシみたいな札付きの悪人というよりは、これまで罰も受けずに暮らせていたかもしれないような普通の民が多かったのではないか。
では項羽はそういう普通の楚人らだとわかってブッコロったのだろうか?
多分ちょっと違うのではないか。
項羽はそこまでの事情を知らず、あるいは詳しく調べようとせず、秦人または秦の協力者とのみ考えてブッコロに至ったではないか。
項羽が兵法のみ学んでいたという話は有名である。兵法家らしく、彼には敵兵の出身は興味がなく、敵だったかどうか、自軍に害があるかどうかだけが問題だったのかもしれない。
項羽の兵法以外の学問には見向きしなかったという性格、志向が生んだ悲劇だった、のではないか。