懐王、秦人の心を攻めるの巻

漢王數項羽曰・・・(中略)・・・懐王約入秦無暴掠、項羽燒秦宮室、掘始皇帝冢、私收其財物、罪四。・・・
(『史記』巻八、高祖本紀)

漢王劉邦項羽を攻める際に項羽の罪を数え上げたが、そこでこんなことを言っていた。




「楚の懐王は秦に攻め入ったら乱暴・略奪してはならぬと約束していたのに、項羽は秦の宮殿を焼き、始皇帝の墓を盗掘し、その財宝を奪った」




これがでっち上げや誇張ではないとすれば、劉邦が秦において略奪を慎んだために人気を得たというのは、劉邦やその側近独自の人気取りというよりは、楚の懐王による人気取りであり、劉邦もその指令を守ったものだと考えることができるだろう。



項羽の独自行動がなければ、劉邦が得た人気というのは懐王が得ていたのかもしれない。


懐王は、楚が秦を討った後の戦後政策のことも考えて命を下していたのだろう。