『史記』項羽本紀を読んでみよう:その1

突然だが、最近まで『史記』陳渉世家を見ていたので、その続きと言ってもよいであろう『史記項羽本紀も見てみようと思う。





項籍者、下相人也、字羽。
初起時、年二十四。
其季父項梁、梁父即楚將項燕、為秦將王翦所戮者也。項氏世世為楚將、封於項、故姓項氏。
項籍少時、學書不成、去學劍、又不成。項梁怒之。籍曰「書足以記名姓而已。劍一人敵、不足學、學萬人敵。」於是項梁乃教籍兵法、籍大喜、略知其意、又不肯竟學。
(『史記』巻七、項羽本紀)


まず項羽の来歴。



項羽の季父が項梁、そして項梁の父は楚の将項燕。



項燕についてはあの陳勝らもその名を騙ろうとした著名人。秦の昌平君と共に秦に歯向かったという点が人気だったのだろうか。





項氏は代々楚の将であったという。



それも項燕への期待感のようなものを増していたのだろう。



まあ、「為將三世者必敗」(三代続けて将になっていると失敗する。『史記』巻七十三、白起王翦列伝)といった言い伝えのようなものも当時言われていたそうだが。





項羽は書を学ばせても剣を学ばせても本気で学ばず、多くの敵を相手にする方法を知りたいなどと言うので兵法を学ばせた、という。その兵法もとことん追求するという態度ではなく、要点を抑えればいい、という感じだったという。



何となく色々と言いたい事が出てきそうなエピソードだが、あるいは項羽は若くして逃亡生活を余儀なくされたために要点を学ぶのが精いっぱいだった、という裏があった可能性もあるのかもしれない。