ふとした疑問

かの項羽は秦を滅ぼした後、秦の地(関中)に秦からの降将章邯・司馬欣・董翳を三秦王とした。



しかし、よくよく考えてみると、秦の大将だった章邯はまだしも、その部下であった司馬欣・董翳まで王にする義理があったのだろうか?




しかも、楚の懐王(義帝)は楚将たちに対して「先入定關中者王之」と約束していたとされている。



楚将たちは皆、この言葉に期待をかけて関中への戦いに命をかけていたに違いない。




なのに、劉邦以外の楚将も一人として関中の王になっていない。



これでは、劉邦はもちろんだが他の楚将たちも「項羽は自分たち楚将に与えられてしかるべき関中を、秦人に与えてしまった」と不満を抱いたのではないだろうか?



更に、三秦王になった一人である司馬欣は元々項羽たちにゆかりがある者であったという。「項羽は自分たち楚将に与えられてしかるべき関中を、自身の縁者を贔屓して与えてしまった」などと思った者も少なくなかったのではないか?




つまり、この秦の降将3人を三秦王とした項羽の差配が、楚将たちの項羽に対する不平不満の種になったのではないか、という事である。