人質

封子(劉)林為牙門將、咸熙元年内移河東。(孟)達子興為議督軍、是歳徙還扶風。
(『三国志』巻四十、劉封伝注)


劉封の子の劉林は牙門将になり、一方であの孟達の子の孟興は督軍*1となった、という。


この内容からすると、孟達の子孟興は、蜀漢に残されて蜀漢において仕官した、ということになるだろう。



おそらく、孟達は(もしかすると他のほとんどの将も)劉備の元に人質として息子を遣わしていたのだと思う。その人質が孟興だったのだろう。




再帰順を期待してのことかもしれない(実際にもう一度蜀漢に靡いているし)が、関羽を助けなかった上に離反した孟達ですら人質の息子が悪即斬されていないというのは興味深い。

*1:「議督軍」とあるが、これは何か誤りがあるのかもしれない。