『晋書』宣帝紀を読んでみよう:その7

その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/29/000100)の続き。






及孫權圍江夏、遣其將諸葛瑾・張霸并攻襄陽、帝督諸軍討權、走之。進撃、敗瑾、斬霸、并首級千餘。遷驃騎將軍。
太和元年六月、天子詔帝屯于宛、加督荊・豫二州諸軍事。
初、蜀將孟達之降也、魏朝遇之甚厚。帝以達言行傾巧不可任、驟諫不見聽、乃以達領新城太守、封侯、假節。達於是連呉固蜀、潛圖中國。蜀相諸葛亮惡其反覆、又慮其為患。達與魏興太守申儀有隙、亮欲促其事、乃遣郭模詐降、過儀、因漏泄其謀。達聞其謀漏泄、將舉兵。帝恐達速發、以書喻之曰「將軍昔棄劉備託身國家、國家委將軍以疆埸之任、任將軍以圖蜀之事、可謂心貫白日。蜀人愚智、莫不切齒於將軍。諸葛亮欲相破、惟苦無路耳。模之所言、非小事也、亮豈輕之而令宣露、此殆易知耳。」達得書大喜、猶與不決。帝乃潛軍進討。諸將言達與二賊交構、宜觀望而後動。帝曰「達無信義、此其相疑之時也、當及其未定促決之。」乃倍道兼行、八日到其城下。呉・蜀各遣其將向西城安橋・木闌塞以救達、帝分諸將以距之。
(『晋書』巻一、宣帝紀

新たに即位した烈祖様の元、司馬懿は襄陽を攻める呉の諸葛瑾(ロバ)らを退けた。この後、司馬懿は撫軍大将軍から驃騎(大)将軍に遷った(『三国志』明帝紀では驃騎大将軍となっている)。



そのまま宛に駐屯して督荊・予二州諸軍事となった。皇帝代替わりという混乱を生じがちな時の、呉と蜀漢それぞれの動きを警戒したという事か。




そんな中、諸葛亮が裏で糸を引いて反旗を翻したのが、魏文が「こいつには他意などない!」と言って厚遇していた劉備からの降将孟達


司馬懿は手紙で孟達の心を惑わせる一方で思いもよらぬ速さで孟達の元へ進軍。孟達の不意を打ったのである。



戦場で自ら兵を率いた経験はそれまで特に無かったように思うのだが、なかなかの手際の良さに思える。