冷たい君主

初、討(袁)譚時、民亡椎冰、令不得降。頃之、亡民有詣門首者、公謂曰「聽汝則違令、殺汝則誅首、歸深自藏、無為吏所獲。」民垂泣而去、後竟捕得。
(『三国志』巻一、武帝紀)

前にも書いたことがあるかもしれんが、やはりこの話って曹操の慈悲深さではなく、民への慈しみの無さ、冷たさを表現するエピソードじゃないかなあ。



名君のテンプレなら、そういう民を前にした君主は「では民を苦しめて死刑を増やすその法令を直さなければ」となるところだろうからなあ。



上記エピソードだけでは、まるで「自分自身が手を下したり、見えるところで連行され処刑されるのはイヤだから逃がしてやるが、見えないところで官憲に捕まって死ぬのは仕方ない」以上に考えていないように見えてしまう。




為政者としてこの法令が正しいと思うなら、心を鬼にして自首した民を法令通りに処断すべきだろうし、為政者として民を苦しめるのを是正したいと思うなら、民を逃がすだけでなく法令自体を直したりしなければ民全体はまるで救われないままだろう。



どちらでもないから、俺はこの話にモヤモヤするんだろうな・・・。