仲長統『昌言』損益篇を読んでみよう:その6

その5(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/21/000100)の続き。






曰、善為政者、欲除煩去苛、并官省職、為之以無為、事之以無事、何子言之云云也?曰、若是、三代不足摹、聖人未可師也。君子用法制而至於化、小人用法制而至於亂。均是一法制也、或以之化、或以之亂、行之不同也。苟使豺狼牧羊豚、盜跖主征税、國家昏亂、吏人放肆、則惡復論損益之閒哉!夫人待君子然後化理、國待蓄積乃無憂患。君子非自農桑以求衣食者也、蓄積非橫賦斂以取優饒者也。奉祿誠厚、則割剝貿易之罪乃可絶也。蓄積誠多、則兵寇水旱之灾不足苦也。故由其道而得之、民不以為奢。由其道而取之、民不以為勞。天灾流行、開倉庫以稟貸、不亦仁乎?衣食有餘、損靡麗以散施、不亦義乎?彼君子居位為士民之長、固宜重肉累帛、朱輪四馬。今反謂薄屋者為高、藿食者為清、既失天地之性、又開虚偽之名、使小智居大位、庶績不咸熙、未必不由此也。得拘絜而失才能、非立功之實也。以廉舉而以貪去、非士君子之志也。夫選用必取善士。善士富者少而貧者多、祿不足以供養、安能不少營私門乎?從而罪之、是設機置穽以待天下之君子也。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)


ある者は言う。「良い政治を行う者は、煩瑣な制度を改めようとし、官職を省き、無為自然にするものだ。あなたは何を言っているのだ?」と。だが、そのようであるなら、夏・殷・周の三代の政治や聖人の言葉も模範とする必要は無い。君子は法制によって天下を治め、小人は法制によって天下を乱したのだ。同じ法制がある時は治まり、ある時は乱れる。使い方の問題なのだ。野獣たちに家畜を飼育させ、大盗賊に税を管理させようとすれば、天下は混乱し、役人は勝手気ままになる。そうなったら法令の加除の問題ではない。


人は君子がいて初めて治まり、国は備蓄があって初めて心配がなくなる。君子は自ら農耕養蚕して生活する者ではなく、国の備蓄は好き勝手な収斂で増やすものではない。俸禄が多ければ、金銭を追い求める罪を犯す者はいなくなるだろう。備蓄が多ければ、災害があっても苦しむ事はないだろう。



正しい方法で俸禄を与えれば、民は奢侈になる事はない。正しい方法で備蓄を得れば、民は苦労する事はない。



天災が流行しても備蓄を放出して民を助けるのは、なんと仁愛あふれる行為だろうか。衣食に余裕があったら贅沢を省いて施しをするのは、なんと節義ある行いだろうか。



君子が相応の地位にあって人々の長となっている時は、人よりもよい俸禄を得るべき身分なのである。それなのに現在はかえって貧乏暮らしをすることを清廉であると尊んでいるが、これは天地の本来の姿ではなく、清廉を偽る虚偽を増やして小人が高い地位に登ってしまうばかりであり、何事も上手くいかないのも、これのせいではなかろうか。



清廉さにこだわって才能ある者を失えば、功績を立てるという実が無くなってしまう。清廉な者を登用し貪欲な者を退けるのは、君子の志ではない。人材登用は善き士を選ぶべきだが、善き者は貧乏な者が多く、俸禄も不足する。どうして私腹を全く肥やさずにいられるだろうか?そういった者を罰するというのは、君子に罠をしかけて引っかかるのを待っているようなものではないか。






天下を治めるには法令が重要だという事。



そして人材登用は才能主義であるべきで、清廉さを第一にすべきでない事を述べているようだ。




これは当時の唯才主義などと言われるものと通じると言って良さそうだ。




どうやら、「素晴らしい君子は兼併などの悪辣なことをしないからこそ貧乏で、しかも役人としての俸禄も少ないから、役人としてやっていこうとすればするほど私腹を肥やしていく必要がある。そういう者を汚職官僚として切り捨てるのは君子を登用しないということだ」という理論らしい。



家産官僚制的な制度と清廉さを求める事の矛盾というところか。