『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その29

その28(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/01/000100)の続き。





十年春正月、曹操袁譚青州、斬之。
夏四月、黑山賊張燕率衆降。
秋九月、賜百官尤貧者金帛各有差。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安10年。



袁譚、滅ぶ。



袁譚曹操が鄴の袁尚を攻めている間に袁尚側諸郡を平定、逃げた袁尚の兵も吸収したというが、曹操によるとそれらは約束に背く行為だったそうだ。



この数年、実際には曹操と袁氏やら他の地方やらではそれなりに動きがあっても、『後漢書孝献帝紀的にはほとんど書かれていない。


皇帝(朝廷)には影響しない事件という認識とも言えるだろうし、もう皇帝が当時の大勢には影響を及ぼしていない、とも言えるかもしれない。



十年春正月、攻(袁)譚、破之、斬譚、誅其妻子、冀州平。
下令曰「其與袁氏同惡者、與之更始。」令民不得復私讎、禁厚葬、皆一之于法。
是月、袁熙大將焦觸・張南等叛攻熙・尚、熙・尚奔三郡烏丸。觸等舉其縣降、封為列侯。
初討譚時、民亡椎冰、令不得降。頃之、亡民有詣門首者、公謂曰「聽汝則違令、殺汝則誅首、歸深自藏、無為吏所獲。」民垂泣而去、後竟捕得。
夏四月、黑山賊張燕率其衆十餘萬降、封為列侯。
故安趙犢・霍奴等殺幽州刺史・涿郡太守。三郡烏丸攻鮮于輔於獷平。
秋八月、公征之、斬犢等、乃渡潞河救獷平、烏丸奔走出塞。
九月、令曰「阿黨比周、先聖所疾也。聞冀州俗、父子異部、更相毀譽。昔直不疑無兄、世人謂之盜嫂。第五伯魚三娶孤女、謂之撾婦翁。王鳳擅權、谷永比之申伯、王商忠議、張匡謂之左道。此皆以白為黑、欺天罔君者也。吾欲整齊風俗、四者不除、吾以為羞。」
冬十月、公還鄴。
初、袁紹以甥高幹領并州牧、公之拔鄴、幹降、遂以為刺史。幹聞公討烏丸、乃以州叛、執上黨太守、舉兵守壺關口。遣樂進・李典撃之、幹還守壺關城。
(『三国志』巻一、武帝紀)


袁譚が斬られ、黒山賊張燕が降伏し、幽州方面で動乱が起こり、烏丸が侵入し、并州刺史高幹が挙兵する。


中々に忙しい一年であったようだ。