同化政策

安道侯揭陽定
以南越揭陽令聞漢兵至自定降、侯、六百戸。
(『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表)

湘成侯監居翁
以南越桂林監聞漢兵破番禺、諭甌駱民四十餘萬降、侯、八百三十戸。
(『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表)

下鄜侯左將黄同
以故甌駱左將斬西于王功侯、七百戸。
(『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表)

開陵侯建成
以故東粵建成侯與繇王斬餘善侯、二千戸。
(『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表)


漢の武帝が南越や東越を滅ぼした時、離反者らを厚遇して列侯にしている場合がある。



これらの例を見ると、その列侯の名が「揭陽令だったから揭陽定」、「桂林監(秦の時の官制だったと思われる)だったから監居翁」、「左将だったから左将黄同」、「建成侯だったから建成」など、越における官や爵をもとに名前が付けられているように思える。




本来名前が無かったとも思えないが、中華風の姓名ではなかったために中華風の名を新たに付けられたのだろうか?



爵位だけでなく名前も与えたとも言えるし、こうやって越の文化習俗を捨てさせ、中華への同化を進めたとも言えるかもしれない。