魯人俗儉嗇、而丙氏尤甚、以鐵冶起、富至鉅萬。然家自父兄子弟約、頫有拾、卬有取、貰貸行賈徧郡國。鄒・魯以其故、多去文學而趨利。
(『漢書』巻九十一、貨殖伝、丙氏)
前漢の頃、魯は吝嗇な者が多かったという。
中でも丙氏は製鉄で巨万の富を得たが特に吝嗇であった、とか。
丙吉字少卿、魯國人也。
治律令、為魯獄史。積功勞、稍遷至廷尉右監。坐法失官、歸為州從事。
武帝末、巫蠱事起、吉以故廷尉監徴、詔治巫蠱郡邸獄。時宣帝生數月、以皇曾孫坐衛太子事繫、吉見而憐之。又心知太子無事實、重哀曾孫無辜、吉擇謹厚女徒、令保養曾孫、置閒燥處。吉治巫蠱事、連歳不決。後元二年、武帝疾、往來長楊・五柞宮、望氣者言長安獄中有天子氣、於是上遣使者分條中都官詔獄繫者、亡輕重一切皆殺之。内謁者令郭穰夜到郡邸獄、吉閉門拒使者不納、曰「皇曾孫在。他人亡辜死者猶不可、況親曾孫乎!」相守至天明不得入、穰還以聞、因劾奏吉。武帝亦寤、曰「天使之也。」因赦天下。郡邸獄繫者獨頼吉得生、恩及四海矣。曾孫病、幾不全者數焉、吉數敕保養乳母加致醫藥、視遇甚有恩惠、以私財物給其衣食。
(『漢書』巻七十四、丙吉伝)
「魯の丙氏」というと、前漢の丞相丙吉が最も有名である。
赤子の時の漢の宣帝を助けたのだが、その時に私財を投げうって宣帝を養育したのだという。
だが、この丙吉が製鉄で稼いだ一族の出である事と、魯国というのが宣帝の祖母史氏の故郷だという事を併せて考えると、中々面白い。
丙吉は金銭的には宣帝(赤子)を養育するに十分な財を持っていたのではないかという事。
魯の一大財産家丙氏である丙吉にとって、宣帝は自分の出身にゆかりがあり(同じ魯の史氏の孫)、いわば同郷の誼で宣帝を助けたのではないかという事。
牢を出た宣帝は魯の史氏に保護養育されるようになったが、これも丙吉と史氏が共に魯国出身という繋がりがあったからではないかという事。
個人的には、少しだけこの話の様相が変わって見えるようになった気がした。