『漢書』宣帝紀を読んでみよう:その11

その10(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180214/1518534194)の続き。




二年春三月庚午、大司馬大將軍光薨。
詔曰「大司馬大將軍博陸侯宿衛孝武皇帝三十餘年、輔孝昭皇帝十有餘年、遭大難、躬秉義、率三公・諸侯・九卿・大夫定萬世策、以安宗廟。天下蒸庶、咸以康寧、功徳茂盛、朕甚嘉之。復其後世、疇其爵邑、世世毋有所與。功如蕭相國。」
夏四月、鳳皇集魯郡、羣鳥從之。大赦天下。
五月、光祿大夫平丘侯王遷有罪、下獄死。
上始親政事、又思報大將軍功徳、乃復使樂平侯山領尚書事、而令羣臣得奏封事、以知下情。五日一聽事、自丞相以下各奉職奏事、以傅奏其言、考試功能。侍中尚書功勞當遷及有異善、厚加賞賜、至于子孫、終不改易。樞機周密、品式備具、上下相安、莫有苟且之意也。
(『漢書』巻八、宣帝紀

地節2年。




霍光、死す。



そして宣帝のターン。



數年、宣帝即位、徴(魏)相入為大司農、遷御史大夫
四歳、大將軍霍光薨、上思其功徳、以其子禹為右將軍、兄子樂平侯山復領尚書事。相因平恩侯許伯奏封事、言「春秋譏世卿、惡宋三世為大夫、及魯季孫之專權、皆危亂國家。自後元以來、祿去王室、政繇冢宰。今光死、子復為大將軍、兄子秉樞機、昆弟諸壻據權勢、在兵官。光夫人顯及諸女皆通籍長信宮、或夜詔門出入、驕奢放縱、恐𡫏不制。宜有以損奪其權、破散陰謀、以固萬世之基、全功臣之世。」
又故事諸上書者皆為二封、署其一曰副、領尚書者先發副封、所言不善、屏去不奏。相復因許伯白、去副封以防雍蔽。
宣帝善之、詔相給事中、皆從其議。霍氏殺許后之謀始得上聞。
(『漢書』巻七十四、魏相伝


霍光が死ぬと、宣帝はその子の霍禹を右将軍とし、霍光が就いていた「領尚書事」の職は霍去病の子である霍山に任せた。



これは霍光ひとりに集中していた権限を分けて影響力を弱める目的があったと思われるが、更にそれまで「領尚書事」に許されていた「上奏文の事前検閲」を廃止する事で、「領尚書事」も知る事が出来ず、皇帝だけが読む事が出来る密奏を作り出すことが出来た。


これによって霍氏がこれまで隠蔽してきた事を宣帝は知る事が出来たという。




そして、その一つが「許皇后の死の真実」であった、という・・・。





宣帝の反撃が始まる。