昌邑王の郎

孝宣許皇后、元帝母也。父廣漢、昌邑人、少時為昌邑王郎。從武帝上甘泉、誤取它郎鞍以被其馬、發覺、吏劾從行而盜、當死、有詔募下蠶室。後為宦者丞。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝、孝宣許皇后)

前漢の宣帝の皇后許氏の父、許広漢。



彼は昌邑の人で、昌邑王(武帝の子、皇帝になった劉賀の父)の郎になった。


だが武帝の甘泉(皇帝の離宮がある)行きに同行した際、他の郎の鞍を間違って自分の馬に付けた事を盗みとされて死罪に当たり、死を逃れるため宦官になった。




昌邑王の郎が武帝離宮行きに同行しているというのは、どういう事なのだろうか?


明らかに昌邑王国ではない所に行っているではないか。




昌邑王自身も武帝に同行していて、その昌邑王に従う形で同行していたのか?



それとも、上記記事では許広漢が漢王朝の郎に転身した事が省かれているのだろうか?




良く分からん。良く分からんが、ちょっと気になる。