皇后史氏

三月辛巳朔、平林・新巿・下江兵將王常・朱鮪等共立聖公為帝、改年為更始元年、拝置百官。(王)莽聞之愈恐。欲外視自安、乃染其須髮、進所徴天下淑女杜陵史氏女為皇后、聘黄金三萬斤、車馬奴婢雜帛珍寶以巨萬計。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

先日の史氏の話で思い出したが、王莽が最後に皇后にした史氏は件の魯の史氏の子孫なんだろうなあ。


史丹字君仲、魯國人也、徙杜陵。
(『漢書』巻八十二、史丹伝)

宣帝の外戚史丹は杜陵に移住したと明記されているし、杜陵(宣帝陵)に移住するのは宣帝時代の高級官僚や豪族という事になるので、宣帝時代の有名な史氏という事になる。



この「魯の史氏」を皇后に迎える理由は、この危機的状況で協力してくれたからというだけなのか、史氏に何かイメージ向上を期待できる何かがあったのか、よくわからないが。