宣帝の外戚史氏

將陵
史子回。以宣帝大母家封為侯、二千六百戸、與平臺侯昆弟行也。子回妻宜君、故成王孫、嫉妒、絞殺侍婢四十餘人、盜斷婦人初産子臂膝以為媚道。為人所上書言、論弃市。子回以外家故、不失侯。
(『史記』巻二十、建元以来侯者年表、将陵侯史子回)


漢の宣帝の祖母史氏の一族として列侯になった史子回(史曽)は、妻が嫉妬から侍女たちを40人殺したり、呪術のために赤子の手足を切り落としたりといった大罪を犯していたのだという。


この妻は「成王の孫」だそうだが、どこの王なのだろうか?漢代に「成王」は長沙王呉臣くらいしかいなさそうだが・・・。もしかして「成王」は間違いで魯王の誰かの事なのだろうか?


史氏は魯王と通婚関係にあったので、史子回の妻は魯王の親族かもなあ。



將陵哀侯史曾
以悼皇考舅子侍中中郎將關內侯有舊恩侯、二千二百戸。
(元康二年)三月乙未封、五年、神爵四年薨、亡後。
(『漢書』巻十八、外戚恩沢侯表、将陵哀侯史曽)

なお、『漢書外戚恩沢侯表には史曽の妻の不行状については書かれていない。


なんで全く書かれてないのだろうか。『史記』の方が怪しい情報なのか、それとも・・・?